大阪府の自転車条例から

 このほど府が制定した条例について思うところを書いてみました。

 

〇条例の概要

 

・自転車保険の加入義務化

 

・交通安全教育の充実

 

・自転車の安全利用

 

・交通ルール・マナーの向上

 

 

大阪府はこれら4点を条例の概要として掲げています。兵庫県に続く保険加入の「義務化」と、ヘルメット着用促進がトピックとして目立ちますが、全体としては、各方面に自転車の「安全適正利用」を求める云わばキャンペーン的な条例です。

  

条文には自転車を「交通の危険を生じさせるおそれのあるもの」と規定しています。自転車施策によく現れる典型的な言説かと思いますし、この条例の性質を端的に表しています。

 

保険もヘルメット着用の是非もこのエントリーで取沙汰することはさておきます。問いたいのは、こうして一方的に自転車の危険性を強調する見地から条例や施策がつくられるその文脈です。 

  

なお当ブログは、かなりのていど自転車利用者を擁護する立場にあり、自転車に対する一般的な見方とかけ離れているかもしれません。お読みくださった方を不愉快にすることもあるかもしれないことをお断りしておきます。

 

○速成の条例

 

条文を見るに、保険加入を義務付けた条例の先駆けとなった兵庫県の条例と、構成は違うものの、盛られた内容はかなり似ています。両条例とも、準備のために設置された委員会の長は同じ人物で、いわば兵庫県の条例をベースにつくられた焼き直し版であるかのようです。 

 

 委員の数もたったの3名(別にオブザーバーが3~5名)で、兵庫県の委員会のメンバー数(16名)とは大違いの少人数でした。内訳は大学教授、弁護士、交通安全協会の職員で、ステークホルダーを結集させたとはとても言い難い陣容です。初回の会合から条例化が議題にのぼっていたのを見ても、最初から条例ありきで進められたのがうかがえます。 

 

 制定の背景を府は下のように説明しています。

 

大阪府内では、平成27年の自転車事故の死者数は50人に達し、平成26年に比べて16人の大幅増となりました。
特に死者数の約5割が高齢者で、その死因の約8割が頭部損傷によるものでした。
また、自転車が加害者となる交通事故によって、死者や重篤な後遺障害が生じ、高額な賠償請求事例も発生しています。
このような問題は、大阪府域全体の共通課題となっていることを踏まえ、自転車の安全で適正な利用を大阪府、府民、関係者が一丸となって促進するため、本条例が制定されました。

  ―大阪府HPより

 

府は、死者数の急増を受けて何らかの動きを示さざるを得なかったのか、最初の検討委員会(去年の11月)から3カ月も経ないうちに4度の会合を開き、提言提出も経ないまま議会へ送っています。 

○「自転車は危険」の根拠はどこに

 

「自転車の危険」には本来、自転車が歩行者とクルマの中間に位置するがための二面性があります。弱者の側面と強者の側面です。しかしこの条例では「自転車は危険を生じさせるおそれのあるものであることを認識し...」(第三条)と記しているように、自転車を危険発生源と規定して強者の側面だけを押し出しています。 

 

同じく条文中に「安全適正利用」という語が繰り返し現れますが、自転車利用者を取り巻く環境条件を取捨して、あくまで利用者を現実に合わせようという姿勢と言い換えることもできます。

 

 


はたして「自転車は危険を生じさせるおそれのあるものである」とは、どう分析され結論付けられているのでしょうか。

 

委員会用に府が用意した自転車の事故関連の資料(上はその一部)を見ると、大阪で対歩行者や自転車同士の事故が増加の傾向にあること、大阪の交通事故全体に占める自転車関連の事故の割合が高い、といった指標が並びます。 

 

たとえば自転車が加害者となっている事故についても、年齢別のデータがあるのみで、過去との比較や発生時の状況等と対照するデータは見当たりません。

 

れらからはたしかに自転車が問題であることはわかりますが、どれも表面的な事実を提示するにすぎません。「自転車が危険なものである」と判断するには、さらに分析が必要なはずですが、該当するような資料は見つかりません。 

 

資料は、会議用に準備されたというだけで、これらのみをもとに方針が決められたと判断することはできません。しかし「議事概要」(※)からは、当初から自転車を危険視し、その利用を指導強化して「適正化」しようというスタンスで終始していることが伺えます。

 

そもそも自転車を「危険を生じさせるおそれのあるもの」というならそれはクルマも同様であり、その危険度は自転車よりもはるかに高いしろものです。また自転車の事故は依然としてその大半が対クルマで起こっていることを、同じ委員会の資料は示しています(二輪を含めて全体の86%/平成26年)。

であるなら優先課題は、何よりも自転車をクルマの危険から守ることではないか、と思うのですが…

 

けっきょくのところ、自転車の危険性とは、それを強調したい人たちの予断によるイメージにすぎない、ように思えてしまうのですが、行政や専門家の取組みについて、浅はかな断定は避けるべきかと思います。もし当方の不明が明らかになった際はあらためてこの場で訂正したく思います。

 

しかし誰も事故を起こしたくて起こすものではありません(もちろん故意のケースは別として)。極端に言うなら高齢者のすぐ傍らをスマホ片手にすり抜ける高校生らにしてすらそうです。筋道だった説明はこのへっぽこの手には負いかねますが、たとえ直接には自転車の違反が原因であっても、その殆どにはそれを引き起こす要因が背後に控えていると考えます。そうした踏み込んだ分析を踏まえない限り、自転車を「危険を生じさせるおそれのあるもの」と断ずるのは早計ではないでしょうか。

 

いうまでもなく日本では、さまざまなハンデを負いながら自転車が利用されています。ざっと思いつくまま挙げてみます。

  • 相当部分を歩行者と共有させている日本の自転車通行空間
  • 歩行者の犠牲のうえに立つ自転車利用
  • 自転車の「車両」意識醸成をスポイルする歩行者との空間共有、交通システム
  • 細街路の多い日本の街路、高い信号密度
  • 歩行者と車両との分離すら十分にできない歩道設置延長の伸び悩み
  • ママチャリの歩行空間との親和性(車両意識不要、問題が顕在化しにくい)…
  • 社会の高齢化、高齢者のモビリティ環境の悪化…

自転車の事故・危険行為が増大しているということは、あるいは自転車の利用環境が厳しくなってきているのではないか。少なくとも一つの考え方として、あって然るべきなのではないでしょうか。

 

〇行政は独自の自転車観を持って

 

取締りを担当する警察が自転車を危険視するのは、ある程度はやむを得ない気がします。

 

けれども、行政や専門の学者までが取締り目線であっていいものか。自転車の違反行為を誘発している要因や自転車が負っている負荷を評価しないで、いたずらに直接の違反主体(自転車)を悪者扱いしているとすれば、それは思考停止ではないか、大きな前提把握を欠いた(もしくはあえて不問にした)まま、末端の問題のみを追っているのではないか、と映るのは当ブログ主だけでしょうか。

 

 「所詮キャンペーンもどきという条例に、何をいちいち突っかかっているのか」と思われるかもしれません。しかし行政は予算と人員と執行権をもっています。府も基礎自治体ではないとはいえ、府道の管理者でもあるし自転車の環境づくりに大きな役割を担います。手を携えてゆきたいものですね。

またあくまで結果的にですが、私たちはこれほど自転車への配慮を欠いたインフラ環境の下でも、世界でトップクラスの自転車利用を果たしています。なおかつ(当局の目に映る無秩序やルール無視はひとまず括弧に入れて)一定の秩序を保っているのはじつに驚異的なことです。この現実を、行政や学者らはもっと積極的に評価していただきたいものです。

 

行政施策を進めるのに不可欠な住民目線を失わないためにも、行政は交通課題への対処にあたって警察の自転車観に引きずられてはならないでしょう。少なくとも、自転車を一方的に危険視する施策が、全国的にトップクラスの自転車分担率にある大阪府民の理解浸透を十分に得られないことは想像に難くない、と思うのですが。

 

 自転車にまつわる問題を利用者の不法行為や無知に帰しているのは、ひょっとすると警察の発信誘導の結果かもしれません。事故や危険行為が問題になるのも、ルールや啓発・教育が奏功しにくいのも、その大元には自転車の特性に配慮したインフラの質・量両面における貧弱さがあること、またそうした与件に気づきにくいようにさせられているように思われます。

 

自転車にまつわる問題の相当分は、これほど市民が支持している乗り物について、何よりも実際のインフラが圧倒的に対応していないことに拠ります。自転車に対応したインフラづくりとは、自転車とまちのインターフェイスを磨いてゆくことと言っていいでしょう。そのための取り組みは、私たちが思い描いているよりずっと広範囲で骨の折れることかもしれません。けれども、とても夢のあることです。

 

 

○過渡期の混迷と手懸り

 

一方で『ガイドライン』(国交省、警察庁)」などをもとに、自転車の利用計画を策定する動きが進んでいて、こちらでは自転車の利用についてとてもポジティブです。その一方で、今度の条例のような自転車を一方的に危険視する施策も現れます。このちぐはぐさは、過渡期ならではの光景と思いたい。 

語弊を覚悟で敢えて言えば、自転車はその本来の特性ゆえにいくら気を付けていてもスピードは出てしまうし、それを操作する人間も完璧きではないから規則を守れないこともでてくる。そんな乗り物だと思います。

 

 「特別扱いをしてくれとは何だ、ふざけるな。『車両』である自転車はきちんとルールを守れ!」

 

とお叱りをいただくかもしれません。もちろん自転車を『車両』とする方向性に当ブログ主も賛同だし、意識の高いサイクリストも大勢いるのも承知しています。ですがこの国の何百万という日常的に自転車を利用する人たちに、同じビヘイビアを期待したり、クルマと全く同じ尺度で見るのは無理があるような気がしてなりません。何か発想を変える手懸りがないものかと思います。

 

実はこうして書いてきたのは手前勝手な妄想ばかりではなくて、一つの手懸りがあります。それはこのひとつ前のエントリーで触れたオランダで実施されている施策です。『Sustainable Safety』と英語では呼ばれます。オランダの交通に関する教育からインフラの設計・整備の基礎となっている施策で、その考え方がとても気になります(-まだ本格的に日本に紹介されおらず、英語の文献が頼り)。

「Slideshare.net」より
「Slideshare.net」より

ちょうど前回エントリーで触れた勉強会の講師が、『Sustainable Safety』を立案したSWOVという研究機関のスタッフなのでした。そして、今回とりあげた大阪府の条例制定に向けて設置された委員会の長を務めたのは、このオランダのスタッフを招いて下った学者団体の理事でもありました。何とも妙な関連です。


※府の該当HPに「概要」というかたちで委員会の議事が公表されているもの。いわゆる議事録ではなく、項目別に整理され発言者不明で発言自体もデフォルメされているので、あいにく生の発言をフォローすることはできません。