とある研究会に参加しての雑感を、あくまで個人的に気に留まった2点を中心に書き留めてみました。
(またも久々のエントリー。内容は別としてまるで季刊誌です)
研究談話会「自転車の死傷者を減らすための挑戦:自転車利用王国オランダの教訓」より
開催:2016/3/15 PM6:00~
場所:大阪市立大学梅田サテライト104教室(大阪駅前第2ビル6階)
講師:Dr. Twisk, D.A.M(オランダ交通安全研究所 SWOV)
レジュメから起こしたレクチャーの内容項目です。
PAST
1.CYCLE FATALITIES
2.THE DUTCH & THEIR CYCLE PATH
3.UNDERSTANDING PREVENTION
PRESENT
1.EFFECTIVE MEASURES
2.THE EFFECTS OF EDUCATION
FUTURE CHALLENGES
1.INJURED CYCLISTS
2.UNDERSTANDING THE MODERN CYCLIST
3.E-BIKES & SPEED PEDELECS
4.SELF-DRIVING CARS & SMART INFRA
講師はオランダの研究機関の女性の方で、自転車という括りではなく、教育方面を専任とする研究員(researcher)のようです。私にとって、まず気に留まったのはインフラ整備の原則を示したこの2行。
Mix only at low speeds
Else separate
まず「車道混在」の条件を規定するこのシンプルな記述は、オランダが自転車をクルマと分離させることを原則としていることを示している。車道混在は例外なのだ。それをレクチャーの前半部ではっきりと示された。(※)
ほんの末席ながら、自転車まちづくりに取り組むひとたちの間にいて数年、オランダはいつも念頭にある。けれども、「国中に自転車があふれていて、クルマに邪魔されずに走れる道がふんだんにある」という大雑把なイメージのまま、その内実や成り立ちはほとんど無知と言っていい。
たとえばグーグルの street view などで、オランダでは車道から十分に独立させた自転車道をよく目にすると何となく思っていた。街なかの幹線や利用者の多い箇所だけでなく、農村部に伸びる道路にも、立派な専用路が当然のようにセットになっていたりする。
ただ、それらを漫然と眺めている限り「分離型が多いんだな」という程の認識に留まったまま。なので、その事実を当国の関係者から直に聴くというのは意味のあることで、確かにオランダはこの原則に則って自転車のインフラ構築を進めてきたのだということが、抵抗なく受け入れられた(もっとも、オランダの自転車インフラの原則なんて、専門家や研究者らにはとっくに周知のことでしょう)。
一方、『安全で快適な自転車利用環境創出ガイドラインガイドライン』(国交省・警察庁 以下『ガイドライン』と略)は、専用道がなるべく選定されないようにデザインされている。実際の整備例も今のところ専用レーンか車道混在型が殆どだろう。また策定の前から、自転車に関わる研究者や専門家の多くは構造分離型の自転車走行路整備を難ありとして避けたがってきたし、私自身も自転車はクルマと車道をシェアするのが基本だという意識が強い。
オランダは、日本の少なくとも自転車推進の主流のそれとはかなり違う方向性の国ということになるだろう。だとすれば、この会に来られていた方たちがこうしたことをどれだけ了解していたか、少し気になった。ただ単に、自転車先進国として有名な国から来た研究者の話を聞きに来た、というのだとしたらそれはちょっとお粗末である。-という当人がそうだったわけだが。
やや本題からそれるが、ともあれ『ガイドライン』は、長年続いてきた「自転車は歩道へ」の政策を方向転換させる過渡期の成果物と捉えるものだと思ってきたけれども、例えば昨年暮のパブコメ「自転車NW計画策定の早期進展」と「安全な自転車通行空間の早期確保」に向けた提言(案)に関する意見募集」などを見るに、戸惑いも覚えつつある。
自転車レーンもナビラインも、何といっても利用度が上がらないし、個別には成功例も聞くにしても事故や危険度が大幅に減っているわけでもない。
ハード整備だけではだめで、教育・啓発が伴わない現状では成果は限定的にならざるを得ないのも了解しているつもりでも、今の方向性に本質的な無理・欠落はありはしないか気になってしまう。講師の言っていたVRU(vulnerable road user:直訳すると脆弱な道路利用者)は、日本で言う"交通弱者"より範囲が広そうだ。
やっと70年代を脱却した日本の自転車政策が、VRUに過度の負荷を強いるものなのかどうか、へっぽこなりに考えてみなければならない。
私にとって『ガイドライン』は当面の成果物で、ただちに計画策定の進展を求められるものではない。ましてや策定が進まないのは自治体の怠慢でも消極姿勢によるものでもない。策定を促すのなら、やはり『ガイドライン』と、これを取りまく仕組みをよくよく見直すのが先決ではないか。
本題に戻ります。
もう1点は、レクチャーの主たるパートの一つだった教育のなかで、
Would fear evoking education work?
(恐怖喚起形の教育は機能するでしょうか -筆者訳)
という細目があって、恐怖感に訴える(未成年への)教育手法は必ずしも効果的ではない、と強い疑義を呈しておられたこと。
これが取り上げられるということは、"fear evoking education" がかの地でもある程度かそれ以上の広がりをもっていることを推測させる。
レクチャーのあと、具体説明を求めた私の質問に対して講師は「(恐怖喚起形の教育は)強く(対象者を)引きつけることができます」「けれども、ネガティブな反応も招きます」「これは自分には起きない」「無関係だ、という自分に都合のいい解釈を起こさせたりします」。と答えてくださった。
中学生ぐらいの年齢では既にある程度の危険を体験済だったりする、つまりそんな目に遭っていながらも何らかのかたちで対処もしてきているので、なおさら効果が得られない、もしくは逆効果にさえなる。そして、
"So, you have to be careful"
と、よくよく念押しするように付言された。
私の質問は、近年主に中・高生向けに開催されている「スケアード・ストレート」を念頭においたもので、講師の関わっている状況とどれだけ状況を共有されるかは保証の限りではないのだけれども、
おそらく、その効果の否定的側面は、ほぼ同じ文脈なのだろうという感触を抱いた。
スケアード・ストレートには、言い難い危うさを感じていた。気乗りしない若年層を安全教育にひき込む得難い手法だろうけれども、社会性や判断力の不十分な子らにショックを与えて或る見方を注入するというのは、一種の洗脳ではあるまいかと。なので、これに対抗する一つの見解を聴けたのも私とっては得られたことの一つだった。
同じく教育に関する事項で、効果が甚だ薄かったという例を紹介されていた。-トラックの駐車している道路をどこで渡るか、シチュエーション別に考えさせる内容で、低学年児にはかなり高度な理解を要求していると思ったのだけれども。
人を教えることの難儀なのは東西同じ、とばかりに共感を誘ったというのではなく、敢えて失敗例を取り上げて "education is a necessity but often not effective" を共有しようとしたのだろうか。
またそうして失敗例を取り上げられるのも trial & error を重ねながら自転車利用大国への道をリードしてきた、という自負を踏まえてこそ、なのだろう。
また、ではどういった手法が有効かなのか?という問いに、講師も研究を続けているとしながら、ひとつには未成年期の子らの、脳の発達のあり方に着目しているという説明をされた。
これは或いは別の説明でのことだったかもしれないが、「人の習性を受け入れて課題に臨む」といった姿勢を強調されていた。「習性」という語には動物的などこか見下した響きがあるけれども、そのキーワードは(控えそびれたので確証はもてないけれども)たしか "nature" ではなかったか。
だとすればそれは良くも悪くもヒト本来の性質とでもいう意味の、価値中立的なタームのはず。西洋合理主義は、こんなかたちで顔をのぞかせるのか。一方、スケアード・ストレートを企画する側には、とてもエモーショナルな動機が潜んでいるように思う。
以上、本エントリーはレクチャーの全容を紹介するものではないし、それは小生の手に余るのであしからず。また本講のみで引き上げたので、このあと講師と参加者らで発展的な交流があったとしても、お伝えすることはできません。
総じて、私には率直なスタンスで好感度の高いプレゼンテーションでありました。この場を借りて、関係者にお礼申し上げます。
※同じ資料中に同様の内容を記した箇所があり、
Main principles on infrastructure
・Segrigate vulnerable road users from fast moving high mass vehices
・Merge only at low speeds
どうもこちらが、『Sustainable safety』の原則を示す本文と思われます。
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