自転車課題の取り組みは「まちづくり」の視点で

  普段の会話のなかで、たまに自転車の問題が話題になると、「利用者のマナーがひどいのをまず何とかしろ!」とか、「欧米のような専用道なんて狭い日本ではそうそう作れない」「とにかく駐輪場をもっとつくって!」とか、「いや道路があまりにも整備されてないじゃないか」「警察はロクに取締りをしないし行政も本腰を入れてない」などなど… 様々な見方や考えが飛び交って収拾がつかなくなるのがしばしばです。

 

 自転車はとても身近な乗り物なだけに、それぞれに考えや不満があるのは無理もありません。ただ、皆それぞれの視界に入っていることだけ口にして、そうしてガスが抜けてしまうのか、それでおしまいになってしまう事が多いように思います。誰しも自分の関心にないことは頭に入りづらいものですが、それでは状況はいつまでも変わることはありません。  

 

  社会のいろんな課題と同じ様に、自転車の課題にも様々な要因が関係しています。自転車利用者の素行がよいとは言いづらいのは、残念ながら事実です。それに対して、自転車を利用する個々人の自覚を求めるのも方策の一つではありますが、けれども、何千何万という利用者の日々の行動がもたらしている現実ですから、このような状態になるもっと根本的な要因・背景が考えられるべきなのではないでしょうか。

 

 例えば自転車道などの専用の通行環境が乏しいことは多くの人が認めているところですが、その前提になる車や歩行者との関係の見直しについての議論は不可欠かと思うのですが、まだまだ一部の学者や市民の間に留まっているように思います。また、自転車用にと整備された道や空間であっても、設計の質の低さや整備が細切れでネットワークになていないことから、予期された機能が発揮されていない例は無数にあります。そうした議論や前提の認識を欠いたまま、日本では自転車のマイナス面が、不当に利用者側の責に着せられているように思います。

 

 とかく問題面ばかりが取り沙汰されがちな日本の自転車ですが、誇りにすべき点もあります。それは世代も性別も問わず誰もがごく気軽に自転車を利用している実態です。

 

 自転車の多岐にわたる効用に着目して、利用促進がはかられているのは世界的な流れですが、意外とこうした利用はかんたんには広まらないものなのです。日本では通勤や通学、買い物に自転車を使うというのはごく当たり前の選択ですが、海外では自転車が主としてレース競技などのスポーツとして定着した国、自転車を生活の道具として利用することに偏見のある国、いざ自転車で用を足そうにも町があまりにもクルマ本意につくられていて自転車の利便性を享受できない国など、さまざまな事情から苦戦している国も多いのです。そんななかで、利用者層の幅の広さと手軽な利用という側面から見る限り日本は、自転車利用の最先進国とされるオランダやデンマークといった国々と較べて全く遜色はありません。 

 

London Cycle Campaign より
London Cycle Campaign より

 自転車や利用者の在り様はもちろんですが、それだけ見ていては解決は見えないし、地域や社会のいろんな立場の人が関わるべき課題だという意味で、自転車への取組みはまちづくりの一環として捉えるべき課題だと思います。欧米の様子を見るに、自転車への取組みは都市や地域の活性化と、これからの生き残りへの期待を担っているのが見て取れます。そこでは「環境に優しい」とか「健康によい」というフレーズは決して書類を飾る美辞麗句ではありません。ロンドンのような世界をリードする大都市でも、自転車が行政課題のトップ・プライオリティに挙がったのは誇張ではない事実です。 

 

 日本の自転車施策は、平成の後半期に大きな転換を遂げました。しかしその施策は大多数のユーザーが求めている方向からますます遠ざかっているのではないかという懸念を小生は抱いています。次々に「整備」される効果不明な視覚表示(矢羽根、ナビマーク)による"通行環境整備"は静穏な道路だけでなく大型車の行き来する主要幹線にまで適用が広がっていますし、その一方で保険加入やヘルメット着用といった個々の利用者が自主的に検討すべきものの推進に熱心だったりします。 

 

 そうした動きに対して日本の自転車ユーザーのマジョリティはたいへん無口です。ただし冒頭に挙げたように実は皆それぞれの見解を持っているのですから、無口なのではなく無力と言った方がいいのかもしれません。どんな分野でも行政の関わるところには力を持った人や団体の思惑が渦巻くように、大勢の無関心と理解不足の傍らで、ごく一部の人たちに都合のいいように施策が進められるのは、きっと自転車の領域においても同じことでしょう。 

 

 道路整備だとか交通施策というと、行政や専門家が手掛けるもので、素人が口出しをすることなのかと思われる方もおられるかもしれません。もちろん知識・経験が及ばず実務にも無縁な一般の市民に、専門家と同じことができるわけではありませんが、だからといって任せきりにしていては、自転車が利用者にとってはもちろん、利用者を取り巻く社会にとっても「安全で快適」なものになることはないと思います。 

 当方はとある自転車好きにすぎない一市民ですが、自転車が誰にとっても「安全で快適」な乗り物になるために、自転車に関する施策や取組みについて、ヘッポコなりとも自分の目で見て考えてゆく姿勢でいようと思っています。